部下が同僚から陰で辛辣なことを言われていたのに、僕はまったく気づけなかった。
普段通り仕事をこなしているように見えていたし、本人も何も言ってこなかった。「大丈夫です」その一言を、そのまま真に受けてしまっていた。でも本当は、じわじわと追い詰められていたらしい。結局その部下は休職し、その後も復職と休職を繰り返すことになった。あのとき、もっと注意深く話を聞いていれば――そう思うことは、今でもある。
27年間、事務職として現場に立ち続けてきて、この出来事は自分の中で一番の後悔として残っている。同時に、この後悔があったからこそ、「聴くこと」と「伝えること」への向き合い方が大きく変わった。今日は、そこで身につけてきた事務所での立ち回り方について書いておきたい。
話を「聞く」ことと「聴く」ことは違う
あの一件があってから、部下やメンバーの話を聞くとき、言葉そのものよりも、その裏にあるものを意識するようになった。
「大丈夫です」と言っていても、表情が曇っていることがある。「特に問題ありません」と言いながら、目を合わせないこともある。忙しいときほど、キーボードを叩きながら「うん、うん」と相槌だけ打ってしまいがちだが、それでは相手が本当に伝えたいことを聞き逃してしまう。
手を止めて、相手の目を見る。それだけのことが、当たり前にできていなかった時期が自分にもあった。今は、報告を受けるときは一度キーボードから手を離すことを、自分の中のルールにしている。小さなことだが、この動作一つで、相手が話しやすくなるかどうかが変わってくる気がしている。
傾聴を続けたら、指示がスムーズになった
もともと文章も口頭での説明も、得意な方ではなかった。だからこそ、まず相手の話をしっかり聴くことを意識するようになった。
不思議なもので、こちらが話をきちんと聴くようになると、相手もこちらの話を聴いてくれるようになる。指示を出すときも、以前より格段にスムーズに伝わるようになった。傾聴は、単に優しさや性格の問題ではなく、事務所というチームで仕事を回すための、実務的な技術なのだと、あのときから実感している。
「たぶん」を使わなくなった理由
もう一つ、意識して変えたことがある。「たぶん」「〜だと思います」という曖昧な返事を、できるだけ使わないようにしたことだ。
事務職は、社内外のさまざまな情報が集まってくる中継地点のような立場だ。ここで曖昧な返事をすると、その曖昧さがそのまま組織全体に広がっていく。全部が分かっていなくても、「今分かっているのはここまでです。詳細は確認して報告します」と、今の時点での事実だけは言い切るようにしている。
これは自信があるからできることではない。むしろ逆で、日頃から根拠になる数字やルール、過去の経緯を把握しておかないと、言い切ることなんてできない。曖昧な返事を減らすことは、結局は日々の準備の積み重ねでしかない。
文章は「1枚に1つ」だけに絞る
文章を書くことも、昔から大の苦手だった。伝えたいことを全部詰め込もうとして、かえって何が言いたいのか分からない資料になってしまうことが何度もあった。
あるとき、1枚の資料には言いたいことを1つだけに絞る、というシンプルなルールに変えてみた。それだけで、驚くほど相手に伝わるようになった。情報量を削ることは、手を抜くことではない。相手が受け取りやすい形に整えるという、これも一つの技術なのだと気づいた。
聴くことと同じで、伝えることも「相手にどう届くか」を起点に考えると、やることが自然と変わってくる。
相手の「この後」を想像する
上司から資料作成を頼まれたとき、「この資料は会議で配るだけなのか、それとも上司自身がさらに加工して経営層に報告するのか」を考えるようにしている。
もし後者であれば、相手が加工しやすいようにデータの形式を整えて渡す。これは特別な気配りというより、相手がこの後どれだけの手間をかけることになるかを想像しているだけだ。この視点を持つようになったのも、あの部下のことがあってからだ。表面だけを見て「大丈夫だろう」と決めつけることの怖さを、身をもって知ったからだと思う。
事務所の空気は、態度からも伝わる
言葉だけがコミュニケーションではない。ため息をついたり、書類を乱暴に置いたりするだけで、事務所の空気は一瞬で重くなる。逆に、こちらが落ち着いた態度でいるだけで、周りにも余裕が伝わっていく。
自分の態度が周囲にどう影響しているか、忙しいときほど見失いやすい。だからこそ、意識して振り返るようにしている。特に繁忙期は、自分が思っている以上に表情や声のトーンに出やすい。
聴くことは、後悔から学んだ技術
かつての自分は、部下の異変に気づけなかった。あの後悔は消えないが、その分「聴く」ということに、今は人一倍気をつけている。
聴くことも、伝えることも、性格の良し悪しの話ではない。どちらも技術として磨けるものだ。今日、誰かの話を、手を止めて、目を見て聴くことから始めてみてほしい。その小さな積み重ねが、いつか誰かを守ることにつながるかもしれない。

