旅先で、あるいは写真で、熊本城を眺めたことがあるでしょうか。天を突くような黒漆塗りの天守閣。その威容は、まさに「組織の象徴」と言える美しさです。
しかし、現場一筋27年の私が、その写真を見て一番に目を奪われたのは、天守閣そのものではありませんでした。その巨大な建物を足元で支え、何百年もの風雪や、あの大地震にも耐え抜いた**「石垣」**です。
熊本城の石垣は、通称「武者返し」と呼ばれます。下の方は緩やかですが、上に行くほど垂直に近くなり、敵を寄せ付けない。この石垣こそが、組織における「現場」であり、私たち「係長」の役割そのものだと感じたのです。
誰もが「天守閣」を見上げ、誰も「石垣」を語らない
会社という組織において、多くの人は「天守閣」ばかりを見ています。華々しい経営戦略、最新のDX(デジタルトランスフォーメーション)、派手な売上目標や、メディアを賑わす新事業——これらは確かに、組織の象徴として重要です。しかし、どんなに立派な天守閣を設計図に描いても、それを支える「石垣」が脆ければ、一瞬の揺れで全ては崩れ落ちます。
上層部が描くビジョンが天守閣なら、その理不尽な重圧を受け止め、崩れないように現場を固めるのが、私たち係長の仕事です。世間は天守閣の美しさを褒めそやしますが、その下にある石垣の苦労を語る人は多くありません。それでも、石垣がなければ城は成立しない。この「語られない自負」こそが、27年現場に立ち続けてきた私のエネルギー源です。
係長という立場になってから特に感じるのは「現場の石垣を守ることへの孤独感」です。上からの圧力と、下からの期待の板挟みになる毎日。誰も見ていないところで黙々と問題を処理し、チームの歪みを調整し続ける。しかしその孤独な作業があってこそ、組織は崩れずに立ち続けられます。
不揃いな「石」たちが、最強の壁を作る
熊本城の石垣を近くで見て気づくのは、そこに使われている「石」の不揃いさです。四角い石、丸みを帯びた石、尖った石。形も大きさもバラバラな石たちが、絶妙なバランスで組み合わさることで、一つの強固な壁を作っています。
これは、現場そのものです。部下たちは、精密機械の部品のように同じ形をしていません。
腕はいいが口が悪いベテラン。真面目だがプレッシャーに弱い若手。数字には強いがチームワークが苦手な中堅——こうした「不揃いな個性」を無理やり同じ形に削り取ろうとすれば、石垣には隙間ができ、強度は落ちてしまいます。
私の仕事は、彼らを矯正することではありません。それぞれの石が持つ「角」と「窪み」を見極め、「どこに配置すれば、この石が一番安定するか」を考えることです。隙間を埋めるための小さな石(配慮)を差し込み、全体としてびくともしない「武者返し」を作り上げる。形が違うからこそ、噛み合ったときに最強の強さを発揮する。それが、現場リーダーの醍醐味です。
「配置の妙」が組織を強くする
係長として10年以上チームを持ってきた中で、最も印象に残っているのは、ある「問題社員」の配置転換の話です。
以前のチームに、報告が遅くて周囲をイライラさせることが多い中堅社員がいました。上司からは「あいつをどうにかしてほしい」と言われ、私も悩んでいました。しかし観察を続けるうちに、その社員が取引先との電話対応において、誰よりも丁寧で相手の信頼を得ていることに気づきました。
そこで私は、その社員に「取引先の窓口役」という役割を明確に与えました。報告業務は最小限にして、電話と対面コミュニケーションに集中させたのです。結果として、その社員は見違えるように活き活きと働くようになり、取引先からの評判も上がりました。
「問題のある石」は存在しない。「配置が合っていない石」があるだけです。この視点が、マネジメントの本質だと今は確信しています。
震災に耐えたのは、深く埋まった「根石」があるから
あの大地震のとき、熊本城も大きなダメージを受けました。しかし、多くの石垣は崩落しても、その「基礎」となる部分は残り続けました。
石垣には「根石(ねいし)」と呼ばれる、地面に深く埋まった土台の石があります。表面からは見えませんが、この根石がしっかりしているからこそ、上の石たちは崩れても、再び「積み直す」ことができるのです。
現場27年のキャリアの中で、私も何度も「組織の崩壊」を経験してきました。不景気、大規模なトラブル、信頼していた部下の退職——そんなとき、組織を最後の一線で踏みとどまらせるのは、経営陣の言葉ではなく、現場に深く根を張った係長の「踏ん張り」です。
日頃から泥臭く部下と向き合ってきた時間が、いざという時の「根石」になります。見えないところで支える。嵐が来ても、そこだけは動かない。その覚悟が、組織の再生を可能にするのです。
「根石」を作るための日常の習慣
私が「根石」を築くために続けてきた習慣が3つあります。
ひとつ目は「毎日、誰かに声をかけること」です。業務の話でなくていい。「最近どうですか」「昨日の件、大変でしたね」という一言が、人間関係の根を深くしていきます。
ふたつ目は「小さな約束を必ず守ること」です。「後で確認します」と言ったら必ず確認する。「来週中に返事します」と言ったら来週中に返す。この小さな積み重ねが、「この人は信頼できる」という根石になります。
みっつ目は「困っている人を見つけたら、一言声をかけること」です。解決してあげなくていい。「何か困ってる?」の一言が、孤立しかけていた部下を救うことがあります。この3つを続けることで、組織の根っこが深くなっていきます。
「積み直す」ことができる強さ
熊本城は今、長い年月をかけて石垣を一つひとつ積み直しています。石に番号を振り、元の場所を確認し、丁寧に、根気よく。
現場も同じです。一度壊れた人間関係や、失われた信頼を回復させるのに、裏技はありません。崩れた石を拾い上げ、泥を落とし、もう一度積み直す。「あの時はすまなかった」「もう一度、やってみよう」そんな泥臭い対話を、石を積むように繰り返すだけです。
私が係長として最も後悔していることのひとつは、30代の頃に感情的になって部下に強い言葉をかけてしまい、その関係を修復するのに1年以上かかったことです。崩れるのは一瞬ですが、積み直すには途方もない時間がかかる——石垣の修復と同じです。
だからこそ、崩さないための日常の丁寧さが大切です。しかし崩れてしまったとしても、諦めずに一石ずつ積み直す粘り強さが、最終的に組織を復活させます。
「不揃いさ」を愛せるリーダーが最強である
マネジメントの本を読むと、「優秀な人材を揃える」「チームのベクトルを合わせる」という話が多く出てきます。しかし27年間の現場経験から言えば、「不揃いさを活かせるリーダー」の方が、長期的に強いチームを作れます。
全員が同じ形の石なら、確かに積みやすい。しかし地震が来たとき、整然と並んだ同じ形の石は一気に崩れます。不揃いな石が複雑に絡み合っているからこそ、崩れにくい壁ができるのです。
多様な個性、異なる強みと弱み、時にぶつかり合う価値観——これらを「問題」として矯正しようとするのではなく、「この配置ならどうか」「この組み合わせでは」と試行錯誤しながら活かしていく。その過程が、係長という仕事の最大の面白さだと私は思っています。
まとめ:あなたは、この組織の「石垣」である
天守閣を見上げて焦る必要はありません。あなたが今日、現場で部下にかけた一言。トラブルの芽を摘んだ、その地味な調整。混沌とした状況を整理した、そのノートの記述——それら全てが、組織を支える大切な「石」になっています。
この記事でお伝えしたことを整理します。
- 石垣の視点を持つ:天守閣(経営戦略)を支える石垣(現場)の重要性を忘れない
- 不揃いな個性を活かす:問題のある石はない、配置が合っていない石があるだけ
- 根石を築く日常習慣:声かけ・約束を守る・困っている人への一言を続ける
- 崩れても積み直す粘り強さ:一度崩れた信頼も、一石ずつ丁寧に積み直せば必ず復活する
- 不揃いさを愛せるリーダーが最強:多様性こそが組織の耐震性を高める
華やかさはないかもしれない。誰にも気づかれないかもしれない。しかし、あなたがそこに立ち、石を積み続けているからこそ、この「城(会社)」は今日も倒れずに済んでいるのです。石垣としての誇りを胸に。明日もまた、不揃いな仲間たちと共に、揺るぎない壁を築いていきましょう。

