以前、資料作成を上司から高く評価されたことがある。
正直、特別なことをしたつもりはなかった。伝えたいことを整理して、見やすい形にまとめただけだ。だが後で聞くと、大卒の後輩たちが作った資料よりも分かりやすいと言われたらしい。そのとき初めて、「大卒だから」「高卒だから」という話ではなく、日々の積み重ねそのものに意味があったのだと気づいた。
事務職という仕事は、どちらかというと光の当たりにくい仕事だと思う。ミスをすれば厳しく指摘される一方で、完璧にこなして当たり前という空気がある。うまくいったことより、うまくいかなかったことの方が、記憶にも評価にも残りやすい。減点方式の世界で27年働いてきて、これは職種の宿命のようなものだと感じている。
金曜日の夜、自分に一つだけ問いかける
そんな環境で働き続けるうちに、金曜日の夜、オフィスを出て駅へ向かう道すがら、自分に一つだけ問いかける習慣ができた。
「今週、自分を一度でも褒めてやったか」
大げさな振り返りではない。ほんの数秒、頭の中で今週あったことを思い出すだけだ。それでも、この一言を自分に投げかけるかどうかで、週末の気分がまるで違ってくる。
減点方式の中で、自分だけは加点方式でいる
会社という組織は、基本的に減点方式で動いている。ミスをなくすこと、期限を守ること、指摘されないこと。これらは大事なことだが、それだけを基準にしていると、自分の中に何も積み上がっていかない感覚になる。
だからこそ、自分の中では意識して加点方式に切り替えるようにしている。「今日は誰かの相談に乗れた」「いつもより早く資料を仕上げられた」「小さなミスに自分で気づいて直せた」。こうした些細なことを、自分だけは見逃さずに数える。誰かに褒められなくても、自分が自分を見ていればいい。そう思うようになってから、少し気持ちが楽になった。
大卒の後輩に評価で抜かれた悔しさと、あの資料の話
大卒の後輩に昇進で先を越されたことがある。あのときの悔しさは今も覚えている。転職も頭をよぎったが、給与が下がることへの不安と、人間関係をゼロから作り直す怖さで、結局は残る道を選んだ。
あの悔しさを抱えたまま働き続けていた時期に、あの資料作成の一件があった。大卒でも特別なことをしているわけではない、自分にもできることがある。そう思えたことが、悔しさを完全に消してくれたわけではないが、自分を支える小さな土台にはなった。学歴という評価軸の外側に、自分なりの加点を持っておくことの大切さを、あのとき知った。
ノートに書き出す、という延長線
金曜日の頭の中の問いかけを、年に一度、もう少し丁寧な形でもやっている。去年の自分と比べて何が変わったかを、ノートに書き出す習慣だ。
日々の小さな加点は、その場では気づいても、時間が経つとすぐに忘れてしまう。書き出しておくと、一年後に見返したとき、「こんなに小さなことを積み重ねてきたのか」と、自分でも驚くことがある。金曜日の夜の問いかけは、いわばこのノートの一行になる小さな種のようなものだ。
誰かと比べるのをやめる
昇進や評価の場面では、どうしても周りと比べてしまう。大卒の後輩と比べて自分はどうか、同期と比べて自分はどうか。比較は時に自分を奮い立たせる材料になるが、多くの場合は自分をすり減らす原因になる。
金曜日の夜の問いかけは、あくまで「先週の自分」との比較だ。他人の物差しを一旦脇に置いて、自分自身がどう過ごしたかだけを見る。この視点を持つようになってから、周りと比べて落ち込む頻度が、以前より少しずつ減ってきた気がしている。
特別な日でなくても、ねぎらう理由はいくらでもある
「今週は大きな成果もなかったし、褒めるところがない」と感じる週もある。それでも、探せば何かしらは見つかる。
普段通り仕事をこなせたこと自体、実は当たり前ではない。体調を崩さず、大きなトラブルもなく一週間を終えられたなら、それだけでも十分にねぎらう理由になる。特別な成果を求めすぎると、いつまでも自分を褒められない。基準を下げるというより、見る場所を変えるイメージに近い。
「お疲れ様」を、誰かにではなく自分に
「お疲れ様です」という言葉は、職場では毎日のように誰かにかけている。だが、自分自身に向けてこの言葉を使うことは、意外と少ない。
金曜日の夜だけでいい。駅までの道すがら、心の中でいいから「今週もお疲れ様」と自分に声をかけてみる。誰かに評価してもらうのを待つのではなく、自分で自分を認める時間を、週に一度だけ確保する。これだけのことが、27年間、減点方式の職場で働き続けるための、自分なりの支えになってきた。
来週も、大きな成果はないかもしれない。それでも金曜日の夜には、また自分に問いかけるつもりだ。今週、自分を一度でも褒めてやったか、と。

