指示するだけでは人は動かない。前任者が手を焼いた部下を変えた、27年目の「伴走術」

現場の知恵(マインド・仕事術)

「あの部下には気をつけろ」という不穏な引き継ぎ

新しい職場への赴任。期待と不安が入り混じる中、前任者から渡された引き継ぎ資料の最後に、その一言は添えられていました。

「……あいつには気をつけてください。指示が通りにくいし、とにかく扱いが難しい。何を考えているのか分からないんですよ」

前任者の顔には、明らかな疲弊と諦めが浮かんでいました。 実際に現場に入ってみると、その言葉の意味はすぐに分かりました。その部下は、常に周囲を拒絶するようなオーラを纏い、必要最低限の会話しか交わそうとしません。

特に驚いたのは、外部との折衝事が発生した時です。何かトラブルの火種が生まれるたびに、彼は私の元へやってきてこう言いました。

「相手がこう言ってきています。どうしますか?」

その言葉は、一見すると上司への報告ですが、実態は違いました。それは「自分は関係ない、あなたが何とかしてくれ」という責任の丸投げ、あるいは私への**「押し付け」**とも取れる態度でした。彼は、自分が矢面に立つことを極端に嫌い、何かあればすぐに防衛本能を働かせて殻に閉じこもっていたのです。

係長という「権威」の限界

前任者のやり方は、おそらく「正論」による管理だったのでしょう。「これは君の担当だ」「君が自分で解決すべき問題だ」という正論をぶつけ、部下を追い詰める。その結果、部下はさらに心を閉ざし、指示を拒むようになる……という負のループです。

確かに、役職(係長)という権威を使えば、無理やり命令を聞かせることは可能です。しかし、それでは**「形だけの仕事」**しか生まれません。現場の空気は淀み、いつか致命的なミスに繋がる。

私は、彼を観察し続けました。そして気づいたのです。 彼が外との交渉事を私に押し付けてくるのは、不真面目だからではない。彼自身が「孤独」で「不安」だったからではないか、と。

  • 「もし失敗したら、誰も助けてくれない」
  • 「責任を押し付けられるのは自分だ」

そんな恐怖が、彼を頑なな態度にさせていたのではないか。そう考えた時、私は係長という肩書きを一度脇に置き、彼に対する接し方を根本から変える決意をしました。

「一緒にやろう」——魔法の言葉ではなく、泥臭い行動

私が始めたのは、何かあるたびに**「一緒にやろう」**と声をかけることでした。

指示書を一枚渡して「やっとけ」と言うのは、数秒で終わる簡単な仕事です。しかし、私はあえて手間のかかる道を選びました。彼が苦手とする外部との折衝の場、あるいはトラブルの最前線に、私も同席することにしたのです。

「この件、一緒に相手のところへ行って話してみようか。もし何か言われたら、私が横でフォローするから。まずは君のやりたいように話してみていいよ」

最初は、彼も驚いたような、あるいは疑うような表情をしていました。「どうせ後で小言を言われるんだろう」と思っていたのかもしれません。

しかし、私は一貫して**「伴走者」**であることを背中で示し続けました。彼が詰まったらさりげなく助け舟を出し、終わった後は「さっきの言い方、良かったぞ」と具体的に褒める。彼がミスをしても、「一緒に解決策を考えよう」と隣に座って頭を悩ませる。

指示を出す「司令官」ではなく、**共に汗を流す「戦友」**として、私は彼の隣に立ち続けました。

変化は、ある日の「小さな一言」から始まった

そんな日々が数ヶ月続いたある日のことです。いつものように外部とのトラブルの報告に来た彼が、今までとは違う言葉を発しました。

「しんさん、この件ですが……私はこうしようと思います。しんさんはどう思われますか?」

「どうしますか?」という丸投げではなく、「こうしたい」という自発的な提案。 その瞬間、私の背中を電流が走ったような感覚がありました。

彼はもう、孤独ではありませんでした。「失敗しても、隣に一緒に泥をかぶってくれる上司がいる」という安心感が、彼の防衛本能を解き、眠っていた主体性を呼び覚ましたのです。数ヶ月かけて、彼の中にあった**「責任感」と「自信」**が芽吹き始めた瞬間でした。

その提案自体は、決して完璧なものではありませんでしたが、私は心から嬉しかった。彼が自分の足で一歩、現場という荒波に踏み出したことが何よりも価値のあることだと思ったからです。

正論よりも「泥臭い伴走」が現場を救う

現場には、大卒のエリートが書く教科書通りのマネジメントが通用しない瞬間が多々あります。 理屈では人は動きません。**「この人は、自分の味方だ」「自分の苦労を見てくれている」**という確信が持てて初めて、人は心を開き、最高のパフォーマンスを発揮できるのです。

「一緒にやる」ということは、部下を甘やかすことではありません。むしろ、部下が一人で立てるようになるまで、共に責任を背負い続けるという、リーダーにとっても非常にエネルギーのいる**「覚悟」の仕事**です。

大卒の上司なら、「それは君の業務範囲だ」と切り捨てるかもしれません。しかし、現場で叩き上げられてきた私たちには、その**「泥臭い寄り添い」ができる強み**があります。

最後に:現場で悩むリーダーのあなたへ

もし、あなたが今、部下との関係に悩み、組織の中で孤独を感じているなら、一度だけ「指示」を「伴走」に変えてみてください。

「やらせる」のではなく「一緒にやる」。

手間はかかります。非効率に見えるかもしれません。 しかし、27年現場を見てきた私だからこそ、断言できることがあります。

あなたが隣で流した汗は、部下にとっての「信頼」という名の種になります。その種はやがて、どんな厳しい環境でも折れない**「自立した組織」**へと育っていくのです。

現場の意地を見せるのは、数字の上だけではありません。 一人の部下の心に火を灯すこと。それこそが、現場を愛するリーダーとしての、最高の逆襲ではないでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました